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《 第一話 初めて接したカメラ 》


私が生まれて、物心ついた頃にはすでに我が家にはカメラがありました。     

現在はもう残っていないので、それがどこのメーカーのもので、何というカメラで 
あったのかはすでに判りません。                       

私の家は純粋の日本人の家系ではありません。 祖祖父がロシア人であり、祖父が 
そのハーフ、父がクォーター、私が1/8で、ロシアの血を引いています。      
そのせいかどうかは判りませんが、私の祖父は戦前から、これからは英語を話せな 
ければいけない、という事で、当時としては異例な英語教育を子供達に施していた 
そうです。 そのおかげで、私の父や叔父叔母はみんな当時としては非常に珍しく 
英語を話せる人達でした。                          

という事もあり、私の父は戦後、進駐軍の通訳をしていたのです。        
その時に、はたしてちゃんともらったのか、はたまた進駐軍から勝手に持ち出した 
のかは判りませんが、私が生まれてから、私の家にはアメリカ製の家具や調度、道 
具の類がたくさんありました。                        

にぎり部分がフクロウの形をした押し切りのノコギリ(日本のものは引き切りです)
アーミーブーツ、とてつもなくでかいスチール製のホッチキス、軍用ジャックナイ 
フ、軍用コッフェル、双眼鏡、ベッドにもなる大型ソファー、折り畳みイス、等々。
その中に、カメラがあったのです。                      

そのカメラがアメリカ製だったのかどうかは今となっては判りませんが、当時の記 
憶ではかなり本格的なものであったと憶えています。              
形としてはレンジファインダー形式で、35ミリ版です。            
絞りとフォーカスリングがレンズ部分にあり、それぞれに数字が刻印されていまし 
た。 シャッターダイヤルは軍艦部にあり、巻き上げはレバーではなく、ダイヤル 
を手で回すタイプでした。                          
ボディはシルバーで、胴部分に黒い皮が巻かれていました。           
フィルム交換は、裏ブタが開くタイプではなく、裏ブタと底部が一体となっていて、
これを外してフィルムを入れるタイプであったと思います。           
堅い皮(茶色)のカバーに入っていて、今にして思えばライカMシリーズくらいの 
大きさではなかったかと思いますが、当時のちいさかった私には大きな、重厚感の 
あるカメラに思えましたね。                         

当時(昭和30年代)はそういったちゃんとしたカメラを持っている家庭はあまり 
なく、私の父が近所の人達をそのカメラで撮り、そのプリントをあげていたのを憶 
えています。                                

当時のちいさかった私にはなかなか持たせてもらえず、そのカメラは私にとって我 
が家の宝物的存在であり、近所の人達の羨望の的であったと思います。      
私がそのカメラではじめてシャッターを切ったのは小学校の半ばくらいではなかっ 
たでしょうか。                               

当然、私の遠足などには持たせてもらえず、父が自分の会社の慰安旅行に持って行 
った時、一緒に付いていった私が父に代わって会社の人達を撮ったのが最初であっ 
たと思います。                               

初めて、そのカメラを手に取り、レンズを向けてシャッターを切った時というのは、
なにかしら誇らしげなものがあり、まるで自分が偉くなったかのような感覚があり 
ました。 その時のまわりにいた人達が「いいカメラやね」「撮って、撮って」と 
言うのに、とても嬉しく感じたものです。                   
調子に乗って撮っていたのはいいのですが、当時はフィルムも高かったのか、後で 
父にえらくおこられたりもしました。                     

この時に私が撮った写真は今でも残っています。                
当然露出計など無い時代に、父が合わせた設定のまま撮ったにもかかわらず、ジャ 
ストな露出でシャープに写っています。 画角から見て標準に近いものであったと 
思われますし、解像度もなかなかのものではないかとも思います。        

このカメラの記憶は私が中学生になった頃にはなくなっています。        
そして、現在も我が家にはありません。                    

いつ、どこで我が家からなくなってしまったのかは今となってはもう判りません。 
父が誰かに譲ったのか、あるいはどこかで紛失したのか。            
今でも残っていれば私が改めて復活させ、SPGにおいても活躍させる事が出来た 
のにと残念でしかたがないのですが、これも時の流れなのかと思うと、しかたがな 
い、という納得で収まります。                        

けど、今にして思うと、あのカメラはどこのメーカーの何というカメラだったのか?
その思いだけが心残りです。                         




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憂想堂
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