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《 第三話 ハーフカメラ 》


ハーフカメラと一言で言いますが、カメラが半分という意味ではありませんよね。   
使用フィルムを本来なら35ミリ版カメラのサイズで使うところを、その半分のサイズで 
使うところからハーフサイズカメラと呼ばれているものです。            
つまり、35ミリ版で36枚撮りのところが、倍の72枚撮れるという事です。       

我が家にハーフカメラがやって来たのは私が小学校の高学年の時でした。       
当時中学生であった兄が叔母から入学祝か誕生日かに買ってもらったものだと思います。
このカメラも現在は我が家にはなく(たぶん兄の家に今でもあると思う)、オリンパス 
ペンであった事は憶えていますが、ペンの中の何という機種であったのかまでは憶えて 
いません。 コンパクトなカメラで、レンジファインダーであり、ボディ全面に昆虫の 
複眼のようなガラスパネルが付いていました。 シャッターがボディ上部からいきなり 
ニュッと突き出ていて、でべそのようにも見えました。               

このカメラは兄のものであったので、私が使う事はあまりなかったのですが、町内会の 
行事で“花見”や“梨狩り”“盆踊り”や“日帰り観光旅行”の際や、当時私の叔母が 
山岳同好会に入っていたせいで、よく私を登山に連れていってくれ、その際には兄から 
このカメラを借り、持って行ったものでした。                   

当時の私は風景をほとんど撮っておらず、そのハーフカメラで撮ったものといえば、町 
内会の悪ガキ友人達や一緒に登山をした山岳同好会の人達のスナップばかりです。   
私の父が記念写真ばかり撮っていたのでその反発があったのかもしれませんが、当時の 
私の撮る写真はほとんどがカメラを意識していない瞬間を狙ったスナップばかのなので 
す。 この傾向は今にも続いており、SPG撮影会においても、休憩時間となり、モデ 
ルさんに「休憩です」と言った瞬間、モデルさんがほっと息を抜いた瞬間を撮るのが好 
きですね。 カメラを意識していないモデルさんの自然な表情を撮るのは大好きです。 

反対に風景をほとんど撮っていないというのは我ながら驚きです。          
小学校6年の時、叔母と一緒に御嶽山に登った事があります。 標高3,000メートルを 
越える本格的な登山でした。 その時の風景の記憶は今でもはっきりと脳裏に残ってい 
ます。 中継地点の濁川、森林限界の這い松、霧の中のケルンの林、山頂付近の山小屋 
、ドラム缶のお風呂、山頂から見た日の出、円形の虹、等々。 感動的な風景が焼き付 
いているにもかかわらず、私はそれらに向けてまったくシャッターを切っていない。  
これは何故だろうと首を傾げてしまいます。                    
当時はカメラというものは人を撮るものであるという固定概念に縛られていたのか?  
人を撮れば、その写真を見せたり、あげれば喜ばれるが、風景となるとなかなか喜ばれ 
ない、という思いでもあったのか? はたまた風景は難しいという思いこみがあったの 
か? 当時の自分の気持ちが全く思い出せないのですが、とにかく写していない。   
今にしてみればもったいない事をしたと思いますね。                

1本のフィルムで72枚も撮れるという事で、随分得したなという気分で撮っていました 
が、良く考えるとプリントの際、倍の金額がかかるという事で、随分痛い目にも合いま 
した。                                     
ハーフサイズという事で、今ならば解像度の問題であるとか、粒子の問題であるとかを 
考えてしまうのですが、当時はそにな事は思いもよらず、また、サービスサイズのプリ 
ントであるならばフルサイズのものとほとんど差は見えなかったと思います。     
今、改めてアルバム見ても、遜色のあるものではありませんし、画像もしっかりしたも 
のです。 写真として見れば、標準で付いていたレンズはかなり広角ではなかったかと 
思います。 けど歪みは見えず、性能もそこそこに良かったのではないでしょうか。  

オリンパスペンは手頃なカメラであったと思いますし、小中学生でも気軽に扱え、いい 
思い出をたくさん残してくれました。                       
私の初恋の淡い思い出もこのカメラと共にあります。                

ちょっと脱線しますが、よく「初恋はいつ?」と聞かれて「幼稚園の時のあの子」と答 
える人もいますが、私は性を意識しだしてから初めて好きになった相手が初恋の人であ 
ると思っています。 これは宮谷和彦さんという漫画家の描いた『ライク、ア、ローリ 
ングストーン』というマンガの中に「恋愛は生殖本能の前衛である」というセリフがあ 
りまして、確かにこの世の命あるものは全て子孫を残す使命をおびている訳で、そのた 
めに生殖本能があり、それゆえに恋愛もある、という考え方に共鳴するところがあるも 
のですから、そう定義した場合、初恋というのは異性に性を意識しだしてからのものだ 
と思うのですね。                                

で、その定義に従いますと、私の初恋は中学1年生の時でした。           
相手は同級生の女の子です。 とても活発な女の子で、最初はあまり意識していなかっ 
たのですが、中1の2学期の体育祭の前、放課後の教室で私がひとり応援看板の図柄を 
描いていた時(私は当時から絵はうまかった)、彼女がいきなり教室に走り込んできて 
まさにいきなり制服からジャージに着替えはじめたのです。 その少し前の小学生の時 
まで体育の着替えは男女一緒という時代でしたから、その気軽さがまだ彼女には残って 
いたのかもしれません。 あぜんとしている私の前で彼女は制服を脱ぎ、ジャージに着 
替えました。 と言っても私に背を向けていたので、私からは背中しか見えませんでし 
たが、それでも私の受けたインパクトは大きかったですね。 目が点になり、硬直して 
いたと思います。 彼女は着替えた後、なにごともなかったかのように走って出て行き 
ましたが、そりから後、私は彼女を今までのような見方が出来なくなりました。    
異性として意識して見るようになったのですね。 そういう意識は以心伝心で伝わるも 
のでして、いつしか彼女も私を意識しだし、それがまた私の恋心をつのらせたものでし 
た。 しかし、当時の私は純情の固まりでした。 恋いを告白する事も出来ず、必要以 
上に話しをする事も出来ず、ずっと遠くから見守っているだけという初恋でした。   

当時の私の通っていた中学校はマンモス学校であり、1学年18クラスもあり、本校と 
分校に分かれていて、2,3年が本校、1年が分校という構成でした。 それが、私が 
1年から2年に上がる時、分校が独立し、別の学校になってしまったのです。     
本校に行くか、新設校に行くかは住んでいる地域で分けられました。         
私は本校、彼女は新設校となりました。                      
これはショックでしたね。                            
もう頭はパニックです。                             
そして、私は何を思ったのかと言いますと、分かれる前になんとか彼女を写真に撮りた 
い、という事です。 学校にカメラを持っていくのは禁止されていましたから、休日に 
しか撮れないと思い、思い切って日曜日にカメラを持って彼女の家まで行ったのです。 
しかし、私には彼女の家の呼び鈴を押す度胸がなかなか出なかった。 家の前を何度も 
何度も通り過ぎ、今にも呼び鈴に手が伸びかけては引き、その繰り返しで日が傾いてき 
たのです。 そこへ彼女の母親が帰ってきて、私を見て、娘と同い年の男の子がいる、 
というので娘の友達と察し、彼女を呼んでくれたのです。 もう心臓が張り裂けそうな 
思いでした。 彼女は出てきて、にこやかに話しかけてくれましたが、私はカメラを隠 
し、とうとう写真を撮らせてほしいという一言が言えず、そのまま分かれました。   
オリンパスペンは私のポケットの中で(さすがにハーフカメラでありまして、ポケット 
の中にすっぽりと収まっていた)とうとう出番をもらえなかったのです。       
結局、私は彼女の写真を残す事も出来ず、学校も離ればなれになり、はかない初恋は幕 
を下ろしたのですが、この時から4年経ち、彼女を撮る機会がおとずれるのですが、そ 
のお話しはまた後段に譲りましょう。                       




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憂想堂
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