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《 第六話 何を撮ろうか 》


初めて自分のカメラを持った時というのは嬉しいものですね。           
私も一日中、手から離す事が出来ませんでした。                 
説明書を何度も何度も読み返し、カメラとにらめっこです。            

そして、フィルムを入れて………、ん? 何を撮ろうか?             

そうなんです。 私の場合はカメラに憧れてカメラを買ったものでありまして、あれ 
が撮りたい、これが撮りたいからカメラを買ったという訳ではなかったのですね。  
ですから、いざ撮ろうとして時、何を撮ればいいのか判らなかった。        

とりあえず家を出て、近所の風景を撮りましたが、狙いも決めずに撮ったものですか 
ら、プリントが上がってきても感動はなかったのです。              
これはいかん、という事で、休日に京都へ行き、神社仏閣を撮ってまわりました。  
けれどそのどれもが絵はがき的なものばかりでした。               
次には女の子を撮ろうと思いました。                      
しかし、現在の私をご存じの方には信じられないでしょうが、当時の私は女の子に写 
真を撮らせて欲しいなんて、そんな恐ろしい事はまったく言えない小心者だったので 
す。 学校に持っていき、クラスメイトを撮りましたが、女の子ひとりの写真はなか 
なか撮れませんでした。                            
自分自身、何を撮ればいいのか、何を撮るべきなのかがわからず、ただレンズを向け 
た先を撮っているだけという期間がかなりあったと思います。           

そんな折り、同級生にUという男がいました。                  
Uは私と同じペンタックスSPを持っていて、その当時から写真に没頭していた男で 
した。 Uは同級生ですが、歳は私よりひとつ上でした。 つまり留年していたので 
す。 Uは勉強が出来なくて留年したのではなく、当時から将来はカメラマンを目指 
していて、それも報道カメラマンをめざしていた男で、当時大阪で勃発していた釜崎 
暴動や学生運動を追いかけて撮っていたのです。 そのため出席日数がたりなくなり 
留年した訳ですが、それでもUは自分の夢を追い続けていました。 このUはその後 
夢を実現し、今では関西でトップクラスのプロカメラマンとして活躍しています。  

私は当然のごとくUに影響を受けました。                    
一緒に釜崎へ行ったり、公害問題を追いかけたり、一緒に学校をエスケープし、カメ 
ラを持って歩き回ったりもしました。                      

当時の私の作品には西成の三角公園で野宿する労務者の姿や、行き倒れの浮浪者、雨 
の振る公園の藤棚の下で野宿する人達の姿を写したものがあります。        
正義感で撮ったものではありませんでした。 当時はそういうものを撮るのがカッコ 
イイと思って撮っていただけだったのかもしれません。              

そんなある日、私はいつものように釜崎へ行き、その足で飛田遊郭跡へ行きました。 
昭和38年の赤線禁止法以降取り壊しになった飛田大門跡を撮りにいったのです。   
大門跡はみじめなものでした。 かつての繁栄は微塵も残っていないかのようでした。
その時に撮った大門跡の写真はまったく迫力の無いものでした。          
自分自身、まったく面白くないものを撮ったと思っていました。          

その話しをUとしていたところ、それなら演出をしてみてはどうか、という事になっ 
たのです。 つまり、何もない飛田大門に街娼を立たせて、それを撮ってはどうかと 
いうものでした。 何も無いから迫力がない。 ならばそこに何か置けば迫力が出る 
のではないかという発想だったのですね。                    

そして、Uは自分の友人の姉さんにその役を頼み、いかにもそれらしい雰囲気を作り、
再び飛田大門へ行ったのです。                         
もちろん私も同行し、一緒に撮影しました。                   
結果は、私自身はかなり満足のいくものでした。 ただし、その時は。       
私としては大門跡に街娼らしき女性の立った写真はいかにも雰囲気を作ったものであ 
り、それなりに満足していたのですが、その年の秋にUが個展を開きました。    
その個展でのUの作品を観て私は愕然としたのです。               
Uの作品は飛田大門での街娼の姿だけではなく、連れ込み宿の中での街娼のけだるい 
姿、裸でせんべい布団に寝ている女性、飛田遊郭の中を共に手を取り合い歩く男女の 
姿、それらが私小説のように描かれていたのです。                

まるで物語を観るようでした。                         
Uの底力を思い知らされたと同時に、作品とはこういうものではないか、とも思った 
のです。                                   

それ以降、私はドキュメンタリーではなく、自らの意図を持った“作品”を作り出し 
たいと思うようになったのです。                        




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憂想堂
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