16歳になってすぐ自動二輪免許を取りました。
最初に買ったバイクは“ホンダ ベンリィ CL90”でした。
バイクを手に入れて良かった事は、行動範囲が飛躍的に広がった事ですね。
行動範囲が広がるという事は、撮影する写真の種類と量も飛躍的に増えるという事で
北海道中標津で出会った、夫婦でツーリングしているというライダーは、駅の待合室
白浜では、浜辺でバーベキューをしているグループに「一緒に食べないか」と声をか
そういった人達を撮ったスナップは今でも私の大事な宝物であり、楽しい思いでのメ
バイクを使っての変わった写真も撮りました。
流し撮りという技法もありました。
バイクの写真もよく撮りました。
今でもたまに、ふらりと車に乗って出かけて行っては写真を撮ったりしています。
今と違って私の時代は、試験場のコースを走り、合格すれば二輪ならなんでも乗れる
今で言う限定解除免許をもらえたのである。
さて、それからはまたバイト三昧である。
当時の私はすでに建築美装の職人で食えるほどの腕を持っていたので、並の高校生で
はおよびもつかないほどのバイト収益を得る事が出来ていた。 休日のみならず、深
夜のビルメンテナンスの仕事もあったので、すぐに中古バイクを返るほどに金が貯ま
ったのです。
もちろん中古だったので、安かったですね。
しかし、このバイクにはほんの三ヶ月くらいしか乗らなかった。
もっとパワーが欲しくなったのですね。
当時の憧れはナナハン(ホンダCB750K0)でしたが、これはとんでもなく高く、
軽四よりも高いバイクでしたのでとても手が出ませんでした。
そこで、買ったのはたまたま中古の“ホンダCB250エクスポート”。
赤と白のツートンカラーのタンクで、これはおしゃれなバイクでしたね。
このバイクはお気に入りでありまして、250CCで車検も無いのですから、今までも残
しておけば良かったと思っているくらいです。
その後、“ヤマハXS650”“カワサキW1-650”と乗り換えていく訳ですが
それぞれに個性的で思いで深いバイクたちでした。
大阪市内は電車や地下鉄の乗り継ぎをきにする事なく、どこへでも走って行けました
し、郊外や遠距離でもどんどん出ていけました。
夏休みには若狭や白浜まで深夜に出発して泳ぎに行ったり、木曽や山口、金沢までも
ふらりと出かけたり出来ました。
高校3年の夏休みには北海道の中標津までツーリングし、青春のひとこまを満喫する
事が出来ました。
ありまして、それまであまり撮った事のなかった山岳写真や広大な北海道の大地の風
景写真、その地その地の生活風景などかどんどん作品として蓄積されていく事になっ
たのです。
これは、たんに写真を撮るという事だけではなく、青春期の私にいろんな勉強をさせ
てくれた貴重な経験にもなっていたと思います。
旅先で出会った人達のスナップも随分沢山撮りました。
思いで深い人、忘れられない人もたくさんいます。
金沢の香林坊で出会った美容師のお姉さんは、ほとんど金をもたずに走っていた私に
食事をさせてくれて、兼六園などを案内してくれ、そのまま深夜喫茶で一夜を共に過
ごしてくれました。 翌朝、私のバイクに二人乗りし、輪島までツーリングし、また
また海の幸などをごちそうになり、ふたたび金沢に戻り、大阪へ帰る私はそこで悲し
い別れをしました。
脳天気な私にとてもせつない感情を教えてくれた人でした。
で野宿すると言う私を、一緒の旅館に泊めて下さり、食事までごちそうしてくれまし
た。 その夫婦とはその後、札幌までの約500キロを一緒に走り、別れ際にはその奥さ
んが涙を流して見送って下さったのです。 一期一会というけれど、出会いには別れ
があると教えてくれたのもバイクでの旅であったと思います。
けられ、ごちそうになり、そのまま、そのグループのテントに泊めてもらったりしま
した。 深夜まで酒を飲み、歌を唄い、熱き思いを語り合い。 とても熱い青春であ
ったと思います。
京都の大学生のグループだったのですが、これも忘れられない思いでですね。
モリーであり続けています。
カメラを首から吊り下げ、胸の位置で固定し、そのままバイクで走る。
スピードが乗ってきたところで、左手でシャッターを押す。
あらかじめシャッタースピードをスローに設定しておくと、まさにライダーの視界が
そのまま絵になったような写真が撮れるのです。
遠方の景色ははっきり写っているのですが、次第にまわりの風景がスピードに流れ出
し、ものすごいスピードの筒の中にいるような感覚の写真になるのです。
私はこれを“ジェットストリーム”と名付け、いろんな場所や道路でこの写真を撮り
ました。 この撮影の欠点は、当時は自動巻き上げ(モータードライブ、ワインダー)
を装備しているカメラがほとんど無く(あってもとても高価)、一回シャッターを切れ
ば自身の手で巻き上げなければならなかった。 バイクを運転中にこの巻き上げをす
るのは至難の業でありまして、一回シャッターを切るごとにバイクを泊めて巻き上げ
なければならなかったのです。 これが結構じゃまくさい。
でも、面白かったものですから、高速道路や山岳道路など、いろいろ撮りに行ったり
しましたね。
これは併走して走っている友人のバイクを同じスピードで走っている私が走りながら
撮影するというもの。 この時にシャッタースピードはスローにしておきます。
すると、出来上がった写真は、バイクで走っている友人の姿ははっきり写っているの
ですが、そのまわりの風景が全て風のように流れている。
まるで風の中をバイクが疾走しているように写るのです。
この流し撮りは、撮影者が定点に立ったままで、バイクがその前を走りすぎていく場
合でも、カメラが走ってくるバイクにレンズを向け、ずっとそのまま追いかけ、正面
を過ぎる瞬間にシャッターを切り、切った後もそのままレンズをバイクに追尾させる
という技法で同様のものが撮れましたが、比較して見ますと、やはり併走して撮った
ものの方がずっと風景の流れが自然に迫力を持って写っていました。
当時はじつに個性的なバイクが多かったですね。
各社ともに製品としての完成度が現在よりも低かったからでしょうか、未完成ゆえの
個性があり、それがまた強烈であり、楽しいものでした。
“カワサキ 500SS マッハV”なんてギアをサードに入れてもまだちょっと吹か
せばウィリーしてしまうというバランスの悪さでありましたが、現在でも信じられな
いほどのものすごい加速力を持っていまして、危険だと判っていながらもそのパワー
に魅せられて購入する若者が多かったのです。
私の乗っていたW1もすごいバイクで、なにせ現在のバイクのようにバランサーなん
てついていない時代ですからバーチカルツインの振動がものすごく、常に各ボルトを
増締めしてやらないと、走っている途中にバックミラーが飛んだり、スピードメータ
ーのケーブルが外れたりしました。 とんでもないバイクでしたね。 けど、それが
また愛おしくてたまらないバイクでもありました。
そんな個性的なバイク達を写真に収めるのが楽しくて、友人のバイクや街で見かけた
バイク達もずいぶん撮り漁りましたね。
けれど、高校生のあの時の感性で撮ったものとはあきらかに違っています。
16歳、17歳、18歳の時に、あのような経験が出来た事は今の私のとってとても良かっ
た事ではないかと思っています。
憂想堂
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