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《 第十四話 デッサン 》


私は写真も好きですが、絵も好きであります。                
油やリキテックスによる絵画も描いています。                

その礎となったのも高校時代でした。                    
高校2年の時から大阪帝塚山にあるアトリエに通い、現在でも関西画壇では著名な
先生にデッサンを教えてもらっていたのです。                

最初は白い立方体から、次は円すい、そして球という具合に、本当の基礎から教え
られたのですね。 もちろん石膏像や大顔面なども描きましたし、人物モデルのデ
ッサンやクロッキーもやりました。                     
ある程度デッサンがまとまってきてからは、油や水彩、彫塑にも進みました。  

デッサンとしては、鉛筆デッサンもありましたし、パステルやペンでのデッサンも
やりました。 道具や素材としては何を使おうとも、ものを見て表現するという基
本は同じなのですね。                           
止まっているものをじっくりと見て、じっくりと描くのをデッサンと言いますが、
動くものをその動きとともに表現して描く事をクロッキーと言います。     
私はこのクロッキーもよくやりました。                   
ポールペンとクロッキー帳を持ってアトリエ近くの公園へ行き、1日中、その公園
に来る人達を描き続けていた事もあります。                 
犬や鳩たちも描きましたし、もちろん風景も描きました。           
走っている子供達の姿を描こうと思えば、ただ見ているだけでは描けません。  
動きを予測し、あるいは記憶して頭の中で組み立てながら描いていくのです。  
この練習が、物を見なくても物を描くという力になっていくのです。      
空想の世界を描く基礎になっていったのですね。               
現在の私の描く魑魅魍魎シリーズやKEMEKOLANDのCGシリーズの基礎はここで育ま
れたものだったのです。                          

もちろん、デッサンは写真を撮る上においてもおおいに力になってくれました。 
構図や光と影、じっくりと被写体を見る目、作品を作ろうという意識。     
全ての基礎はデッサンにあると言っても過言ではないでしょう。        

ヌードデッサンやヌードクロッキーもその当時からやっていました。      
私が少々女性の裸を見ても動じないのはそのせいだと思います。        
夏休みになると毎週土曜日に、そのアトリエでヌードデッサンがあり、かかさず通
っていました。                              

私はSPGであっても他の場合であっても、ヌード撮影の場で勃起する事はありま
せん。                                  
と言って、これは歳相応に立たなくなったというのではありません。      
私はまだまだ現役でございます。                      
これはおそらく、作品を作ろうという意識と勃起させようとする意識が大脳の中の
同じ部分を使っているからなのではないかと思えるのですね。         
私は大学も芸術系でしたので、カリキュラムの中にヌードデッサンやヌードクロッ
キーがありました。                            
ヌードデッサンのある日の朝などは結構わくわくするのですが、いざヌードのモデ
ルさんを前にし、木炭や鉛筆を持ち、デッサンに集中しだすと、勃たなくなるので
す。 というか、性的欲求が起こらなくなるのですね。            
20歳前後の精力満ち溢れる時代においてもそうでした。           
作品を作ろうという意識と、子供を作ろうという意識は同じ部分でコントロールさ
れているの違いないのです。 同じ“作る”という意味において。       
SPG撮影会において、モデルさんを前にしてカメラを構える時はまったく性的欲
求を感じません。 ところが、撮影が終わり、その余韻が残っている時や、撮影し
た写真のプリントが上がってきて、それを見ている時などはすごく勃ったりします
ね。                                   

話しはそれましたが、とにかくデッサンというには今の私にとってとても役に立っ
てくれています。 建築においてもグラフィックデザインにおいても、曲がりなり
ながらカメラマンとしても収入を得る事が出来ているのも、すべてはデッサンとい
う基礎を作っていたからなのでしょうね。                  

デッサンというのは者を見る力を養ってくれますが、そればかりではなく、構図を
じっくりと考える力も養ってくれます。                   
現在私はモデルさんを撮る時、ファインダーの中で、モデルさんだけを見るのでは
なく、構図やその後のトリミングも考えながらフレーミングし、シャッターを切り
ます。 これはもう習慣になっています。                  
カメラを初めて手にした頃は人物を撮っても、その人物だけしか見てなかったよう
に思います。 けれど、やはり背景もあれば光もあるのだから、それらを楽しみな
がら撮りたいと思う訳ですね。 その時、当時やっていたデッサンという基礎部分
が自然とファインダーの中で出てくるのです。                

写真と絵とは表現するマテリアルは違いますが、表現のセンスとソウトはまったく
同じものではないでしょうか。                       
もし、これから写真を始めようという方がいらっしゃるならば、私は「デッサンを
やりなさい」「物をじっくり見なさい」という進言をさせていただきたいと思って
います。                                 




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