asobo018.htm


《 第十八話 モデル体験 》


私は高校3年の時、YAMAHA XS650というバイクに乗っていました。         
ある日、私の同級生で、当時すでにプロのモデルになっていたYという女の子が、  
「今度の日曜日に撮影があるんだけど、小道具にバイク使いたいって事になった。  
ついては運転手付きでバイクを貸して欲しい」と言うのです。           
つまり私にバイクに乗って指定場所まで来てほしいという事ですね。        

ちょっと脱線しますが、このYちゃんの芸名は“相沢セリカ”と言いました。    
この芸名を聞いて「ん? どこかで聞いた事がある」と直感した方はSPGの通です。
そうです“相沢セリナ”ちゃんとじつによく似ていますね。            
それもその筈でありまして、なにせセリナちゃんの芸名の名付け親は私なのですから。
当時セリナちゃんは“セリナ”だけであり、名字の部分はありませんでした。 とこ 
ろが、SPGに登場する時に、やはりちゃんとした芸名がいる、という事になりまし 
て、じゃ何がいい? となりました。 その時、私は相沢セリカを思い出し、セリカ 
とセリナで似ているし、ゴロが良いという事で、“相沢セリナ”という名前をあげた 
のです。                                   

当時の相沢セリカはモデルでしたが、その後タレントになり、バラエティ番組に出た 
り、当時のイレブンPMで藤本義一氏のアシスタントもしていましたから、ご存じの 
方もいらっしゃるかもしれません。                       

とにかく、その相沢セリカが「撮影にバイクを使わせて欲しい」と言うので、私と、 
当時HONDA CB750K1に乗っていた友人の二人で指定された場所へ走っていきました。  
場所は神戸のメリケンパークであり、行きますと、すでに撮影スタッフやモデルやら 
でものものしい雰囲気になっていました。                    
相沢セリカはバイクの手配を仲介しただけでこの撮影には参加していませんでした。 

ジーンズのポスターの撮影であり、カメラマンはなんと、若き日の一色一成さんでし 
た。                                     
メリケン波止場を背景にし、ハーフの男のモデル達がバイクに寄り掛かったり、跨っ 
たりしている絵の撮影でした。                         
一色一成さんは迫力ありましたね。 被写体から少し離れての望遠での撮影でも大声 
で的確にモデル達に指示を出していきます。                   
モデルは全部で5人ほどいましたが、撮影中でもイメージに合わなかったり、どんく 
さかったりするとどんどん外されていきます。                  

華やかなモデルもプロの世界は厳しいもんや、などと言いながら私はのんきに眺めて 
いたのですが、その時、いきなり一色一成さんが私を指さし、「君、君だっ、君っ」 
と言います、なにかいな? と思い、自分で自分の鼻を指しますと「そうっ、君、ち 
ょっとこっち来て」と言うのですね。 バイクを動かしてくれ、という事かいなと思 
って行きますと、両脇からいきなりスタイリストにとっつかまりまして「これに着替 
えてっ」とジーンズを差し出されたのです。                   

その時やっと事の次第の判った私は「ぎぇぇぇぇぇぇっ」と思いましたが、元々嫌い 
な方ではありませんから、ほいほいと着替えます。                
私はその当時すでに身長は180センチありましたし、今よりももっとスリムであり、そ
れでいて肩幅は広く、胸囲は100センチを越えているという理想的な体型をしていたの
ですね。 だからプロカメラマンに目をつけられたのでしょう。          

商品のジーンズに着替え、プロのモデル達と一緒にカメラの前に立ちました。    
この時、一緒に撮ったモデルさんは、ごく最近このジーンズのリバイバルCMでテレ 
ビオンエアされている(上半身裸でジーンズはいたままバスタブに入り、そのままブ 
ラシでジーンズをゴシゴシやっているハーフの男性です)ものに出ているのモデルさ 
んです。                                   

一色一成さんの指示通りに立ったり座ったり、いかにも楽しそうに他のモデルさん達 
と話したり、と言っても私に演技力があった訳ではなく、他のモデルさん達がその場 
を盛り上げてくれ、それに乗せられていたと言った方がいいでしょう。       
どのくらいの時間撮られていたのか全く憶えていませんが、いきなり「お疲れさん」 
で終わり、その場でギャラを貰いました。                    

なにやらキツネにつままれたみたいでしたが、後日私はもっと驚く事になるのです。 

朝、自室のベッドでうとうとしていますと、母がばたばたっと血相替えて私の部屋に 
飛び込んで来ました。                             
「これ見てっ」と言いますので、なにかいな?と母の差し出した新聞を見まして私は 
卒倒しそうになった。                             
その日の朝刊の半ページ広告(1ページの下半分丸々)になんと私が大きく写ってい 
るではありませんか。                             
ジーンズのCMでした。                            
私が中央でバイクのハンドルを持って押しているところ、その両脇にハーフのモデル 
達が私の肩に手をかけて、3人で笑い合っている構図でした。           

その新聞は朝日新聞でありまして全国紙ですから、もしかしたらそのCMも全国に流 
れたのかもしれません。                            
こんな事ってあるのかいな?と思いましたね。                  
その他にもプロのモデルが来ていたのに、その人達は外され、飛び入りさせられた素 
人の私がトップクラスのモデルと一緒に写って、それが全国紙に載るなんて。    
まったく何がなんやらよく判りませんでした。                  

私はいきなり有名人になりまして、その後もモデルの依頼があり、アルバイトニュー 
スのポスターやスポーツ用品メーカーのモデルなんかもしましたが、時は受験の時期 
でした。                                   
所詮モデルはアルバイトくらいにしか考えていなかった私は、モデル事務所にも所属 
しないまま(かなり誘われた)、受験に突入し、それ以後モデルの仕事をする事はあ 
りませんでした。                               
もしかして、あの時続けていれば今頃私は芸能界で生きていたかもしれませんね。  




BACK
憂想堂
E-mail: yousoudo@fspg.jp