高校卒業後、私は1年間浪人をしました。
これは私の方からアシスタントさせて欲しいと行った訳ではなく、最初はUがコネを使
田中誠一さんは現在では東京で活躍されているCM界の重鎮カメラマンですが、当時は
運転手として手伝いに行ったのですが、売れっ子になり始めていた田中誠一さんの仕事
機材車に乗り、現場に向かう。
この時のアルバイト体験がその後の私の生き方を左右する事になります。
この時代にあらゆるカメラの操作方法を知りました。
この田中誠一さんの元からは多くの若手カメラマンが巣立っています。
その間、予備校にも行かずアルバイトをしていたのですが、そのアルバイトというのが、
プロカメラマンのアシスタントでした。
って当時の新進気鋭と言われていた若手カメラマン田中誠一氏の元へアシスタントとし
て入ったのです。 この二人がほぼ同時に免停となり、クルマに乗れなくなった。
これは困ったという事で、免許を持ち、浪人で暇そうにしている私に運転手として手伝
ってくれ、という依頼があったのです。そう、私はカメラマンのアシスタントとしてで
はなく、運転手として田中誠一スタジオに入ったのです。
広告代理店に勤めている時にAPA展(広告写真協会展)に自作を出展し、それが大賞
を取り、それを機に退社して独立、プロカメラマンとなった方です。
私がアシスタントをしていた当時はまだ26歳という若手カメラマンでした。
量は多く、また、情熱家であったため、仕事量は大変なもので、私は初日からアシスタ
ントとしての仕事を求められたのでした。
現場に着いたらカメラや機材を運び出し、ロケ地、あるいはスタジオ等にカメラマンの
支持通りにセッティングする。 書くだけならば簡単ですが、1台20キロもあるバルカ
ーやジュラルミンの機材バックを何個も運ぶのですから体力がなければ続きません。
田中誠一さんは精力的に動き回る人でした。 撮影イメージをぶつぶつとつぶらきなが
らセッティングをしていきます。 私達はそれについてまわり、そのイメージに沿うよ
うに機材をセットしていくのです。
モデルを使う場合はモデルの送迎やドレッシングルームの手配、モデルやマネージャー
の食事の手配などもしなければなりません。 もちろんモデルの機嫌とりも仕事の内で
す。
セッティングが終わればフィルムの準備やフィルター、レンズのセットなど、休む暇も
ありません。
撮影が始まればフィルム交換を手早くしなければならないのと、1本ずつのフィルムの
マーキングと仕分け、テスト撮りフィルムの現像所への早出し、ポラロイドのセット等
、その合間にライティングの移動や修正、セットの移動などもあり、戦争状態です。
こんなしんどい仕事はいやや、と思ったりもしましたが、得るものもとても多い仕事で
した。
休憩時間もアシスタントは休んでいられません。
次のカットの準備やモデルさんの機嫌取り、飲み物の手配などもありますし。
スタジオや室内のライティング時ならいいのですが、屋外や自然光撮影の場合などは光
量が刻々と変わっていくので常に露出計をにらめっこしていなければなりません。
モデルさんを使う場合はたいていバックミュージックを流すのですが、その選定をする
のも私達の役目でした。 事前にモデルさんの好きな音楽をマネージャーから聞き出し
ておき、そのテープを用意しておくという具合ですね。
わがままなモデルもいたりして、そんな時は大変ですが、それなりに楽しくもありまし
た。
プロカメラマンの現場を1年間体験した事により、私自身が本業(建築)に関連する写
真撮影の現場において、カメラマンとして仕事をし、それが私の収益にもなり、ある面
においては私はプロカメラマンとしても成り立っているのですから。
私はエイトバイテンやプレスカメラも使う事が出来ます。
フィルムの特性や現像による仕上がりの操作や調整もおぼえました。
そして、何より田中誠一さんの、ものを作ろう、という姿勢に感化されるところが多か
ったですし、絶対に妥協しない作品作りも大きな影響となりました。
私は今でも機材を猫かわいがりはしません。 カメラや機材は使ってナンボという考え
方を持っています。 それもこの時代、使わなければ機材ではない、いい機材は使って
こそいい機材であるという田中さんの考え方を受けているものです。
Uもそのひとりです。
私は青春の一時期、こういう先生の元につけた事に今でも感謝しています。
憂想堂
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