私は大学時代、美術を専攻していました。
で、私は油絵を描いていました。
現在私の作品の中にある「魑魅魍魎シリーズ」や「KEMEKOちゃんの悪魔シリーズ」は
私は現在の写真活動において、人物写真が一番好きでありまして、それを重点的に撮
ものを見る目においても、写真は一瞬のシャッターチャンスを切り取るものなのです
私の学生時代は充実していました。
みずから作品を創る写真活動からは遠ざかっていた時代です。
カメラマンアシスタントのバイトも辞めていましたし、自分でカメラを持って撮影に
出かけるという事もほとんどありませんでした。
では、何をしていたのかというと、絵を描いていたのです。
これはカメラや写真が嫌いになったからという訳ではなく、私はカメラに触れる前か
ら元々絵を描くのが好きで、高校時代にはアトリエに通いもデッサンやクロッキーも
相当にやっていたのです。 ですから元々大学は芸大に行こうと思っていたのです。
絵を描くにあたって、それまでの写真活動がそれからの私の絵画活動への影響を大き
く貢献してくれたのです。 それは何かと言いますと、ものの見方、構図に対する考
え方が、絵ばかりを描いている他の大学同期の連中とはかなり違っていたというとこ
ろなのです。 私はカメラのレンズの画角で絵画の構図をとらえる事が出来るのです。
広角24ミリの構図、望遠200ミリの構図で絵を描く事が出来たのです。
これはカメラを触った事のない画学生には真似の出来ない芸当だったようです。
最初はみんなから奇異の目で見られましたが、やがてこれが私の画風の礎となり、そ
の数年後、私は日本で有数の美術展に入選する事になるのです。
この時代に培った絵画描写力の応用なのですね。
っています。 それは絵画時代もそうであり、描くのは人物画が多かったですね。
人物デッサンやクロッキーもずいぶんやりました。
もちろんヌードデッサンは大好きでした。
当時は写真の世界においてはヘアー露出は御法度で、ヘアーヌードを公開された場で
発表するだけでお縄になったのですが、絵画の世界のおいてはヘアー露出は公認され
ていまして、私も個展でヘアーを克明に描写した作品を発表したりもしていました。
この頃から私は日本の警察の猥褻観念については疑問を持っていまして、どうしても
ヘアー露出が“一般的な常識を持っている人たちに嫌悪感を抱かせる”というもので
あるとは思えなかったのです。 ですから当時の私の作品では意識的にヘアーの表現
をぼかしたり隠したりする事はしませんでした。 そして、それはそれで良かったと
今でも思っています。
が、絵画においてはじっくりと納得するまで見て、感じて、触れて、それを描いてい
くのです。 ですからものをじっくりと見る目を養ってくれます。
そして、あらゆる角度からものを見る習慣も身につけました。
色に対する考え方も、与えられた色ではなく、自分で色を作り出していくのですから
納得した色というものを追求していくようになるのですね。
そして、それは現在の私を創ってくれたものでもありました。
写真からは離れていましたが、その時代に得たものは現在の写真活動に大いに役に立
ってくれているものと思っています。
憂想堂
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