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《 第三十八話 秀 蘭 3 》


台北での三日目。                               
その日は朝からずっと秀蘭と一緒だった。                    
せっかく研修旅行として台北に来たのだから遊んでばかりいられないという事で、百 
貨店めぐりをする事にした。                          
一応当時の私の本業であるショッピングセンター設計のための視察という事で。   
太平洋そごう、三越、高島屋を見ましたが、これらは日本と全く変わりがない。   
それも当然で、元々日本資本だし、設計も日本の企業がやっているため、日本のもの 
をそっくり持ってきたようなものだった。 あまり参考にならなかった。      

昼食は私のリクエスト「台北の庶民料理が食べたい」と言う事で秀蘭はしばらく考え 
ていたが、火鍋屋に連れていってくれた。                    
が、これはとんでもない辛さでしたね。                     
真っ赤っかなだし汁を煮立てた鍋に好みの具を入れて食べるという具だくさんのしゃ 
ぶしゃぶみたいなものなのですが、その辛さが尋常ではない。           
さすが秀蘭は平気で食べていますが、私は冷たいビールで流し込まないと食べれない。
すると秀蘭はお店の人に注文して白淡スープをとってくれた。           
鍋で煮立て真っ赤になった具をこのスープで洗って食べればいいと言う。      
その通りにしたらとても食べやすくなってじつに美味しかった。          

この日は観光地でない台北の街が見たいというリクエストに秀蘭が連れて行ってくれ 
たのが、中山南路と忠孝西路一段に囲まれた学生街。               
この地域には予備校が集まっていて、そのためか若い学生風の人達が多かった。   
マクドナルドや喫茶店に若い人達がたむろしてわいわいやっているところなど日本と 
ほとんど変わりませんね。                           
その若い連中が何やら袋にはいったものをポリポリ食べながら歩いている。     
それを売っている屋台があったので見てみると驚いた。              
なんとニワトリの足先なのである。                       
肉の付いている股ではなく、爪のついてる枯れた紅葉のような足先を唐揚げにして売 
っている。 おそらく骨までカリッと揚がっているのでしょう。 スナック菓子でも 
食べるかのように食べている。 あれはさすがに食べれなかったなあ。       

台北には古着屋が多い。                            
若い連中はあまり金を持っていないから新しい服を買うよりこういった古着屋で買う 
事が多いのだろうか。 古着とはいっても新品のブティックかと思うような店もあっ 
たし、若い女の子である秀蘭もこういった店には結構興味をしめしていた。     

この学生街には本屋やおもちゃ屋も多く、反対に観光客相手の土産物屋やニセブラン 
ド商品の店は無く、本当に台北の人達の街なんやなあと思いました。        

私達はその学生街の喫茶店に入り、珈琲を飲んだのですが、ここでまた驚く。    
珈琲の値段が高い。                              
ビールだと缶ビールが120円程度なのに珈琲は400円もする。         
台北は観光客相手のところは高いが地元の人達に対する物価は安いのである。    
それが珈琲だけがとても高い。                         
これはこの喫茶店だけではなく、どこへ行っても珈琲だけは高く感じた。      

私は街中を見て歩きたいという意図でいろいろ歩き回っていたのであるが、秀蘭もそ 
れにつき合ってずっと歩いてくれいてた。                    
けど疲れた顔もしないでつき合ってくれている。                 
この時にはなんだかすごく情が移ってきていましたね。              

その夜はこれまた私のリクエストで観光客相手ではない、地元の若い連中の集まる場 
所へ行きたいという事で、秀蘭はビアホールへ連れていってくれた。        
ビールは安いため、若い連中が多く、そして日本人相手の人達がいないという事もあ 
って、変に作ったところが無く、同じアジア人であり日本人とほとんど違いのない人 
達が集まっているのだけれど、とても台北らしさを感じたし、日本ではない外国なん 
だなという感じがした。                            
別に生バンドが入っている訳でもなくステージでの演し物がある訳ではないのでけれ 
どとても盛り上がったし、まわりのテーブルの連中とも仲良くなってみんなで飲んで 
騒いだ。                                   
秀蘭がいてくれたおかげで地元の若い連中と交歓出来たのがとても嬉しかった。   

ビアホールを出て私達はまた夜市に行った。                   
この日は前夜とは違い士林区の夜市であった。                  
華西街の夜市とはちがい、士林は屋台というより、店構えをしたところの多い夜市で 
私としては手作り感があまりなく、夜市という言葉には違和感を感じたが、それでも 
活気があって楽しいものだった。                        
ここではヘビ料理の調理実演があり、それを見ていると、生きているヘビから取りだ 
したばかりの、まだ動いている心臓をワインに入れて「飲め」と言われた。     
私はそういうのは結構平気でぐっと飲み干したのであるが、あまり美味しいとは思わ 
なかった。                                  

私はその夜が台北最後の夜であり、翌日には日本に帰る事になっていた。      
この旅行では秀蘭にとてもお世話になったので、お礼に何か買って上げたいと言った。
士林にはブランドショップもあったのでバッグかアクセサリーでも買って上げようと 
思ったのだった。                               
すると秀蘭は「そういうのはいらない。 もしくれるのだったら日本に帰ってから、 
日本のアニメのビデオを送って欲しい」と言った。                
なんか、すごく、この子はええ子やなあと思いましたね。             
秀蘭はとても頭がいい、そして決してお金に困っている様子もない、どころか育ちの 
良さも感じる。 秀蘭と一緒にいる間ずっと不思議に思っていた。 何故この子が日 
本人相手の売春をやっているのだろう? と。                  
あのボーイが言ったように本当に日本に興味を持っていて、そのために日本人に接す 
る機会を欲しがっているのか。 あのうまい日本語は学校で覚えたものではなく、日 
本人との会話の中から覚えたのだという事で、そういったところからも日本に興味を 
持っているのは本当なんだろうと思う。                     
けど、私はついに「何故?」とは聞けなかった。                 
聞いたとしても秀蘭も答えにくかっただろうし、換えってくる答え(理由)自体を私は 
聞きたくなかったからなんだろうと思う。                    

翌朝、私達ツアーの一行はホテルを出て空港に向かった。             
秀蘭とはホテルのロビーで別れた。                       
たぶん私は秀蘭に通訳以上のものを感じていたのだろう。             
空港に向かうパスの中で哀愁のようなものを感じていた。             

日本に帰り、約束通り私は秀蘭にアニメビデオを何本か送った。          
すぐにお礼の手紙が来た。                           
また台北に来た時は会いたいと書いてあった。                  

それから8年後、再び台北に行く機会があったが、秀蘭には連絡しなかった。    
当時秀蘭は二十歳だった。                           
あれから8年。 秀蘭は二十八歳になっている。                 
もしかしたらもう結婚して家庭を持っているかもしれない。            
そんなところへ昔を知っている日本人が連絡をしてはいけないと思ったからだ。   

昨年、三度目の台北旅行をした。                        
台北の街はとても綺麗になっていた。                      
街の印象もとても変わっていた。                        
けれど、私はそんな変わっていく台北を見ても、その街にいつも秀蘭の面影を見てし 
まっているのである。                             
旅は一期一会である。                             
そういう思い出を作ってくれる旅というには本当にいいものだなと思いますね。   


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憂想堂
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